
![]() |
Corvette AMERICAN LEGEND Vol.3 1956 Racing Success |
| by Noland Adams published by Cars & Parts Magazine | Rating: |
|
前回に引続き上掲書から。セブリングで感動的な成功を収めたコルベットでしたがその後続けて1956年のアメリカ国内のスポーツカー・レース・シリーズに継続してエントリーする事になりました。なんでそうなったのかというと、これが良く判らない。勢いとしか言いようがない。色々と本を読んでいても「レースをすれば広告効果がある事がわかったので潜在的な顧客需要を喚起する意味でもそれには意味があったのだ」みたいな一般論が書いてありますが、どうも釈然としません。私の考えですがこれは単に「タテマエ」ではないでしょうか。大体この頃のコルベットの販売台数などシボレーのセダンに比べたら完全なゴミ同然の台数で、その結果として宣伝広告費もロクに割り当てて貰えない車だったのです。ベルエアやトラックなんかは恐ろしく売れる車だったのでテレビ、ラジオ、雑誌などでコマーシャルがガンガン流れていたのですがコルベットは雑誌広告だけ。そんな利益も何もない車が何でレースを続けることが出来たのか? 結局シボレーの人間が「やりたくてウズウズしていたから」というのが一番事実に近いでしょう。特に大きかったのがレース好きのエド・コールがシボレーの親分だったと言うこと、そしてハーリー・アールがコルベットを気に入っていたという事。この二人がGMの重役達や経理部門を黙らせたと思います。 1956年のこの頃のシボレーの開発部門は語弊を恐れずに言えば「大バカヤロー」ばっかりでした。状況証拠的に見てダントフの頭の中は「世界で最速のレーサーを造ってやるぜ」みたいな事ばっかりだったと思われますし、ビル・ミッチェルの頭の中も「オレ様のデザインで世界最高のスポーツカーを造ってやるぜ」みたいな野望でいっぱいだったと思われます。エド・コールだって「オレ様のコルベットがレースで活躍しないなんて耐えられないぜ」みたいな考え方だったしハーリー・アールなんかもブリッグス・カニンガムに「お前んとこはまともなスポーツカーひとつ作れんじゃないか」と言われた事をすごく根に持って何とかコルベットをまともなスポーツカーにしたいとマジでバックアップしていました。 この頃の開発部隊が見えないところで何をやっていたかを考えてみるとSR-2はもう走っていたし、ダントフはXP-87およびXP-64、つまり「コルベットSS」の開発に着手していました。また革新的「Qコルベット」(XP-84)の構想も既に実質スタートしていたと思われます。この頃のシボレーの技術的先進度、先鋭度には瞠目すべきものがあり、何だかシボレーの開発部門全体が熱病にうかされて「行け行け」状態になってしまっていた感があります。ダントフあたりが「フッフッフッ、オレ様がこれから造るコルベットSSにファンジオあたりを乗せたら一発で『世界』が獲れる筈だぜ。待ってろよ」と思っていたのはほぼ確実でしょう。結局この「熱病」はGMのゴードン社長が「お前らいい加減にせんか!レースばっかりに夢中になりおって。禁止!もうレースは禁止だ!」と宣言するまで続きました。もしゴードンが中止命令を出していなかったらシボレーはどこまで突っ走っていったか見当もつきません。「ベルエアもガンガン売れて儲かってるんだし、まあこれくらいの事やったっていいじゃないか」と思ってたんでしょう。 余談が長くなったのでこの話はこれまでとしますが、だからコルベットがいきなりレース活動を始めたのは「シボレーのバカなおじさんたちが単にそれをやりたかったから」というのがその理由で「技術力の誇示」だの「宣伝効果」というのは結果的にそういう効果があっただけに過ぎないというのが私の考えです。 このノーランド・アダムスの本はそう言ったことを考える上で大いにヒントとなる様々な事実を提供してくれます。コルベットの歴史に興味ある人は絶対見逃せない本であると言えましょう。興味を覚えた方はどうぞ原書をamazon.comなどでお求めになって是非続きをお読みください。 |
![]() |
| ↑2台のメルセデス・ガルウィング300SLとジャガー?を従えてトップを力走するディック・トンプソンの56コルベット。実に美しい風景である。 |
![]() |
| ↑2台のメルセデス・ガルウィング300SLとジャガー?を従えてトップを力走するディック・トンプソンの56コルベット。実に美しい風景である。 |
![]() |
|
↑2台のメルセデス・ガルウィング300SLとジャガー?を従えてトップを力走するディック・トンプソンの56コルベット。実に美しい風景である。 え、もうわかった?くどい?じゃー今日のところはこれくらいにしときますか!ちなみにこの頃はまだオリジナルのフロントウィンドウでおまけにハードトップまでつけて走ってます。理由は不明。6月だし寒かった訳ないだろうと思うのですが。あと、良く見ると公道走行用のナンバープレートもついたまま。最初の頃は準備不足でトンプソンも自走してサーキットに行ったりしたらしいからそのためでしょうね。 |
![]() |
| ↑こちらがMGを蹴散らし、ジャガーをブチかまし、ベンツ300SLをドツキ回した我らのヒーロー、ディック・トンプソン大先生のご真影である。この写真は有名であちこちの本で見ますね。頭脳明晰で快活だがひとたびレースになると全力を尽くす、典型的な昔気質のアメリカ青年といったところか。この頃にはもう既にオリジナルのフロントウィンドウは撤去されてプレキシガラスになっている。ちなみにこの車の向こうを歩いている白服のとっつあんは確かホットロッドマガジンだったかの名物編集長だとかいう話。以前何かの本でそう読んで「そうか、ホットロッドの人間もスポーツカーレースをウハウハ見に来たのか」と思ったので覚えてます。 |
![]() |
| ↑これは(セブリングの時もそうだったが)シボレーが「勝った勝った!」と連呼して騒いでいる雑誌広告。不鮮明ながら下半分の記事を流し読みしてみると「最上のヨーロッパ製スポーツカーと全く劣らないコーナリング性能を証明した」だとか「優秀なクロスミッションと2種類のデフがスポーツマインドなドライバーのお気に入り」とか「パワーウェイトレシオ上有利なファイバーグラスボディ、そしてスペシャルブレーキ・ライニングがついている」だとか「パイクスピークスのレコードホルダー車と同じエンジンでデイトナではスピード記録を樹立、NASCARショートトラックのチャンピオン車と兄弟エンジンで馬力は何と210馬力」だとかもう書きたい放題である。だいたいコルベットが格別に軽量な車ではないという事はこの広告の文章を書いた人間以外は地球上の誰もが知っている事実ではないか。だが「こいつ、一体なに言ってんだ?」と怒ってはいけない。私はこの広告を好ましいと思います。コルベットがスポーツカーレースという未知の分野に準備不足のまま乗り込み、そして勝った。これは誰も異議を唱えようもない事実だからです。むしろ私はこれらの美辞麗句の数々をシボレーの無邪気な歓喜の現れと見ます。そう、勝者は勝ち誇っていいのです。 |
![]() |
| ↑ストレートでメルセデス300SLをブチ抜くディック・トンプソン。まるで夏の高原の朝のように爽やかな風景である。 |
![]() |
| ↑ストレートでメルセデス300SLをブチ抜くディック・トンプソン。まるで夏の高原の朝のように爽やかな風景である。 |
![]() |
|
↑ストレートでメルセデス300SLをブチ抜くディック・トンプソン。まるで夏の高原の朝のように爽やかな風……、え、いい加減にしろ?じゃー今日のところはこれくらいにしておきましょうか!ちなみにブチ抜かれている300SLは白なのでドライバーは本文中にもありますが、ペブルビーチで途中で火煙りをたててリタイヤした可哀相なクレイエさんではあるまいか、と思ったりします。ヤレヤレ、災難でしたねえ。 ところで本文中にもありますがクレイエさん、ディック・トンプソンがチャンピオンを決めたパームスプリングスのレースでは一体何をそんなに腹を立てたものかレース後のクリアラップでトンプソンに拳を振り上げて嫌な事をしたって書いてあります。考えてみれば車が火を吹いてリタイアしたりして、そのうちにポッと出の新人(西海岸では)がタイトルを持って行ったりすれば私でも腹が立つかも知れません。可哀相だから許してあげましょう。 |
![]() |
| ↑これは多分パームスプリングスでのパドック風景。真ん中がゼッケン106の西海岸用コルベット。他はやっぱメルセデスとかジャガーとかエキゾチックな車が多い。 |
![]() |
| ↑1956年11月4日、パームスプリングにてチェッカード・フラッグを受けるディック・トンプソン。写真には写ってないが本文のレース経過から判断するに、この直後にはキャシー・ベイツじゃなかった、ジャック・ベイツのメルセデス300SLがいた筈である。どうでもいいが良く見るとこの106のコルベット、まだライセンス・プレートがついたまま。たまには公道走ってたんですかね? |
![]() | |