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Corvette AMERICAN LEGEND Vol.3 1956 Racing Success |
| by Noland Adams published by Cars & Parts Magazine | Rating: |
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本書はコルベット研究家として有名なノーランド・アダムスのコルベット・ヒストリー・シリーズの第3巻です。このシリーズは内容的には非常にマニアックな部類に入ると思います。読んでいても時々普通のコルベット本に書いてあることとは正反対の事実が書いてあったりするのが目を惹きますし、シボレーの技術者にインタビューして事実関係を取材したりしているところなども実に興味深い。数々のモノクロ写真も珍しいものが多くて思わずじーっと見てしまいます。ただ現在第5巻まで出ていますがそれでもやっと1960年に辿り着いたところでまだC1の話をやってます。これではC3に辿り着く頃には第10巻を越してしまっているのでは無いかと心配になります。でもノーランドおじさんに敬意を表して全巻付き合って行こうかなと思っています。ただこの本は言ってみれば微に入り細に渡っている上に何巻かに分かれているので「初めて買うコルベットの本」としては少し考えた方がいいかもしれません(ちなみに『初めて買うコルベットの本』として最適なのは Randy Leffingwell著 "Corvette-America's Sports Car"です。現在、新本で普通に入手出来るコルベット本の中では内容の面白さ、写真の美しさなど考えるとこれが間違い無く最上の部類だと私は思います)。 ところで今回訳したセブリングのレースの話、ややこしいのですが実はノーランド・アダムスの文章ではありません。コルベットでセブリングを走ったジョン・フィッチは1959年頃"Adventure on Wheels"という本を著したそうですが、この本のセブリングに関する部分をノーランド・アダムスが上の写真の本の中に大幅に引用しています。その部分を訳しました。 いずれにしてもこのノーランド・アダムスの本はコルベットの歴史に興味ある人にとっては応えられない本です。興味を覚えた方はどうぞ原書をamazon.comなどでお求めになって是非続きをお読みください。 |
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| ↑これはセブリングのコースをテスト走行するダントフ。全てはここから始まった。1955年の12月からデイトナ・ビーチにて速度記録を達成すべく準備万端整えていたダントフだったが肝心のビーチは天候不順でなかなかスピード・トライアルを行う事が出来なかった。余りのヒマさに業を煮やしたダントフは比較的近所のセブリングでコルベットをテストする事を思いついた。1956年1月第一週の事である。空港の滑走路を利用したコース、セブリングにおいてSCCAの主催で1950年から12時間耐久レースが行われていたが1955年までにはそれはフェラーリやジャガーやアストンマーチンなどが入り乱れる国際的な有名レースに育っていた。「そのコースでコルベットはどれくらいやれるだろうか」と、デイトナ用コルベットを持ち込んだダントフが試みにセブリングのコースを走ってみたところ、これが充分コンペティティブなタイムが出てしまったのである。この報告を受けたシボレーの親分、エド・コールは「そりゃホンマかいな!」と大いに喜んで舞い上がってしまい「よっしゃ、デイトナの次はセブリングだ。我がシボレーはセブリング12時間にコルベットでエントリーするのだ!決定だ!」と独断専行的に決めてしまったという。本番の3月24日まで2ヶ月なかった。驚いたのはアーカス・ダントフである。いくら競争力のあるタイムを出したからといって、それはほんの数周の事。12時間走り切るためにはまた別の準備や改造、改良が必要で、そしてそれを行うには時間が足りなさ過ぎるという事がレース経験の豊富なダントフには判っていたのである。ところが危機感を感じたダントフが上層部に「出来ません」「無理です」「あのコースは危険過ぎます」という事を余りに訴え続けた為「じゃーお前はその対策パーツを造る係になれ」と言われてダントフは一時的に配置転換までされてしまったという。事ここに至ってはダントフもあきらめるしかなく、せっせとセブリング用パーツを造ることになったらしい。 |
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↑ジョン・クーパー・フィッチ(John Cooper Fitch) 1919年インディアナポリス生まれ。父親もレーサーでスタッツ・ベアーキャットなどでインディ・スピードウェイをぶっ飛ばしていたのだと言う。だがジョン・フィッチ自身の正式なレース・キャリアは戦後すぐにMG-TCをドライブしたレースからスタートしている模様である。そしてその後めきめきと頭角をあらわし、1950年代中盤にはアメリカン・ストックカーからF1まで幅広く乗りこなす世界のベスト・ドライバーの一人に数えられていたという。コルベットに乗る前も主なキャリアとしてはメルセデス300SLRのワークスドライバーだったり、1953年のル・マンにおいてブリッグス・カニンガムのC5Rという車に乗って3位に入賞したりしていた。1955年の12月、確たる理由は判らないがフィッチ自身の方から「レーサーとしてのコルベットに興味がある」とエド・コールに自薦の手紙を書いたのだと言う。「じゃあ君にお願いするか」とコールは二つ返事で承諾した。ひょっとしたら「あのフィッチがコルベットに乗りたいと言って来おったわ!」とコールは喜んだのかも知れない。まず1956年2月のデイトナ・ビーチにおけるドライビングが皮切り。続いて3月のセブリングにおいて「君にはチーム運営、開発、ドライバーをやって欲しいんだ」という依頼をする事になった。尚、生年から計算すると1956年のセブリング当時のフィッチは37歳くらいの筈だがそれにしてはこの写真は随分老けて見える。多分この写真はフィッチが相当ジイサマになってから何かの記念イベントなんかで撮影された写真だろう。 |
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| ↑これがコルベットに割り当てられたセブリングのガレージ、というか物置き小屋。シボレーからエントリーしたコルベットはここで仕上げられた。見えにくいかも知れないが写真右手前に実走開発テスト用のシャシー56年式、ボディ55年式というコルベットのテール部分が写っている。このホットロッド風改造車で実走テストを重ね、良い結果の出た部品、改造を他のレース出場用の4台に適用する、という開発方法が取られたと言う。尚、本番用の4台のエンジンは実は全てスモーキー・ユニックの "Best Damn Garage in Town" に運ばれ、ユニック自身の手によってチューニングおよび最終仕上げがなされたのだと言う。 |
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| ↑ずらりと一列に並んでスタートを待つレーサーたち。写真の一番左、列の先頭にゼッケン1のコルベットがいるがこれは現在で言うポールポジションではなく、実は単に「排気量順」に並べられただけであるというに過ぎない。当時のセブリングでは出場クラスは主に排気量によって振り分けられており、原則として排気量の大きい順にスタートラインに並べられる決まりだったそうである。確かに排気量イコール加速力、と考えればこれは合理的かも知れない。記録を調べてみるとこの方式は1963年、ル・マン式スタートを廃止するまで続いたようである。1964年からは現在のレースの様に予選を行ってその速い順にスタート位置に並ぶ方式に変更されたらしく、この年から急にポールポジション(First Qualifier)という言葉が出てくる。ちなみに写真の左から2台目のゼッケン2はフェラーリ375プラス(4954cc)。 |
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| ↑スタートの合図とともにこのように車に駆け寄ってスタートするのだった。 |
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| ↑そしてこれがスタート直後。フィッチの乗るゼッケン1のコルベットが首尾良くトップで好スタート。間にゼッケン8、マイク・ホーソーンのジャガーを挟みつつも(ゼッケン1のコルベットの陰にいる)それにゼッケン5のコルベットが続き、さらにその後ろにも他のコルベットが続く。実に美しい風景である。 |
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| ↑レースの最中、滑走路ストレートにてオースチン・ヒーレー100をブチ抜くゼッケン6。実に美しい風景である。ちなみにこの写真ではドライバーが右腕を高く挙げてVサインの様なものを出している。あと2周でピットインする、というサインだろうか?それとも大丈夫、快調だ、と言っているのだろうか? |
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↑これはシカゴからやってきた謎の二人組、ドン・デイビス(Don Davis)とボブ・ガッツ(Bob Gatz)のドライブで総合23位完走を果たしたゼッケン3のコルベット。この二人はシボレーがバックアップした白に青ストライプの4台のコルベットとは全く無関係に自分達の意志でプライベートでいきなりエントリーして来たのだと言う。しかも驚いた事にこの二人は1000マイル以上も離れたシカゴから「じゃーセブリングに行きますか」と、このコルベットでブロロローッと自走してセブリングまではるばるやって来たのだという。そしてその場でゼッケン貼ったりヘッドライトにテーピングするなどの作業をして「じゃーいっちょうブチかましてやりますか」とそのままレースに出場、驚くべき事に大過なく12時間を無事に走り切った。それで「じゃーシカゴに帰りますか」とまたその車に乗ってシカゴまでブロロローッと走って帰って行ったのだという。 車を見るとウィンドシールドが撤去してある事、ガス給油口のフタが取り去ってある事、エンジンフードを少し開けてなおかつボンピン?状のもので半固定してあるように見える事などに気付く。これらの事からはこの二人組がある種の「レース慣れ」をしている様子が伺えるが、ただし中身はまずストックのままのコルベットではないか。プライベーターが1956年式のピカピカの新車のコルベットを1956年3月のレースにエントリーする場合、ろくなモディファイをする時間があったとは思えないからである。1956年式コルベットのデリバリーは例外的に遅かったようでもあるので尚更である。「なあデイトナ・ビーチじゃダントフはウィンドシールド取っぱらってたよなあ」「うんそうだな、あれを真似しよう。軽量化ってやつだ」というレベルの話だった可能性は否定出来ない。 この時代はアメリカ全土でホットロッド熱、レース熱が高まっていたというからこの二人組もそんなムーブメントの中でのシカゴ・エリアの腕自慢、と言ったところではなかったかと想像する。 この本の著者のノーランド・アダムスも「この二人の事は調べたが良く判らなかった」と言っているのでもう多分誰にも本当のところは判らないだろう。この二人の名はその後二度と公式レースの歴史に現れる事はなかったがコルベットファンたるもの、「ドンとボブの56'Vette」の事は覚えておきたい。 |
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| ↑レースがスタートして12時間後の夜の10時、レースは終了した。写真はレース完走後、ピットに戻って来たゼッケン6のコルベット。左のメカは拍手をしており、右のメカは気遣うようにドライバーの顔を覗き込んでいる。ドライバーは疲労困憊したものか、あるいは感極まったものかうなだれているのが印象的である。 |
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| ↑これはセブリング12時間終了後、雑誌に出されたコルベットの広告。レース本番中?の緊迫感あふれる写真をドーンと大きく扱って右肩に「THE REAL McCOY(本物)」とあるのが泣かせます。本文には「こんにち、アメリカで造られた最もすぐれた車」なんて書いてある。この広告は相当インパクトがあったようであちこちのコルベット関係の本で同じ写真を目にします。1956年1月/2月のデイトナ・ビーチ・フライング・マイルでの記録樹立に引き続く3月のセブリングにおけるクラス勝利。これがコルベットが第一級のスポーツカーとして人々に認められた原点です。 |
| 決勝順位 | ドライバー | ゼッケン | 車種 | 排気量 | エントラント | クラス | 周回数 |
| 1 | Juan Fangio/Eugenio Castellotti | 17 | Ferrari 860 Monza | 3422 | Scuderia Ferrari, Italy | C-1 | 194 |
| 2 | Luigi Musso/Harry Schell | 18 | Ferrari 860 Monza | 3422 | Scuderia Ferrari, Italy | C-2 | 192 |
| 3 | Bob Sweikert/Jack Ensley | 14 | Jaguar D | 3442 | Jack Ensley, Indianapolis, Ind. | C-3 | 188 |
| 4 | Roy Salvadori/Carroll Shelby | 27 | Aston Martin DB3S | 2992 | David Brown & Sons, Ltd., England | D-1 | 187 |
| 5 | Piero Taruffi/Jean Behra | 24 | Maserati 300S | 2992 | Offcine Alfieri Maserati Co., Italy | D-2 | 186 |
| 6 | Hans Herrmann/Wolfgang Von TRIPS | 41 | Porsche 550 Spyder | 1496 | Porsche KG, Germany | F-1 | 182 |
| 7 | Jack McAfee/Pete Lovely | 43 | Porsche 550 Spyder | 1496 | John Edgar Enterprises, Hollywood, Calif. | F-2 | 179 |
| 8 | Alfonso Mena/Santiago Gonzales | 16 | Jaguar D | 3442 | Alfonso Gomez Mena, Cuba | C-4 | 176 |
| 9 | John Fitch/Walt Hansgen | 1 | Chevrolet Corvette | 5180 | Raceway Enterprises, Dundee, Ill. | B-1 | 176 |
| 10 | Porfirio Rubirosa/Jim Pauley | 33 | Ferrari 500 Mondial | 1996 | Porfirio Rubirosa, Dom. Rep. | E-1 | 172 |
| 11 | Phil Stiles/George Huntoon | 31 | Austin-Healey 100S | 2660 | Ship & Shore Motors, Palm Beach, Fla. | D-3 | 168 |
| 12 | Briggs Cunningham/J.G. Bennett | 11 | Jaguar D | 3442 | Briggs Cunningham, West Palm Beach, Fla. | C-5 | 168 |
| 13 | Bob Ballinger/Phil Stewart | 39 | Arnolt-Bristol | 1971 | S.H. Arnolt Co., Warsaw, Ind. | E-2 | 158 |
| 14 | George Marshall/Hubert Brundage | 66 | Porsche 550 Spyder | 1496 | Porsche KG, Germany | F-3 | 158 |
| 15 | Max Goldman/Ray Crawford | 6 | Chevrolet Corvette | 4346 | Raceway Enterprises, Dundee, Ill. | C-6 | 157 |
| 16 | Paul Armagnac/G. Mercader | 58 | Deutsch-Bonnet HBR5 | 745 | Ecurie Jeudy Bonnet, France | H-1 | 155 |
| 17 | Ted Boynton/J.E. Peteson | 40 | Arnolt-Bristol | 1971 | S.H. Arnolt Co., Warsaw, Ind. | E-3 | 154 |
| 18 | J.H. Dressel/BIll Woodbury | 37 | AC Ace | 1991 | J.H. Dressel, Arlington, Va. | E-4 | 154 |
| 19 | William Kinchloe/Steve Spitler | 50 | MGA | 1489 | Hambro Automotive Co., N.Y. | F-4 | 151 |
| 20 | Dave Ash/Gus Ehrman | 49 | MGA | 1489 | Hambro Automotive Co., N.Y. | F-5 | 151 |
| 21 | Leech Cracaft/Red Byron | 55 | Cooper- T-39 Climax | 1098 | Cooper Car Co., England | G-1 | 147 |
| 22 | Fred Allen/John Van Driel | 51 | MGA | 1489 | Hambro Automotive Co., N.Y. | F-5 | 151 |
| 23 | Don Davis/Bob Gatz | 3 | Chevrolet Corvette | 4346 | Carl Beuhler III, U.S.A. | C-7 | 136 |
| 24 | M.R.J. Wyllie/Peggy Wyllie | 54 | Lotus Mk IX | 1097 | Dr. MR.J. Wyllie, Allison Park, Pa. | G-2 | 99 |
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