22) 青年、およびオジサンは荒野をめざす

ボンネビルを走ったコルベットの話を訳してみました。みんな結構頑張ってます。

出典書:
CORVETTE RACERS
by Gregory Von Dare
published by Motorbooks International
Rating:  
 世の中には「コルベットなんてスポーツカーじゃない」と真顔で言う人がいますがそう言う不勉強な人にはこの本を全部、とは言いません、最初の30ページだけでも読んでからそういうネゴトを言って欲しいものです。
 本書は数ある「コルベット本」の中でも「コルベットとレース」に焦点を絞って時系列、及びジャンル別に著述した力作です。1956年にダントフ自身がデイトナに乗り込んでコルベットの名誉をかけてスピード記録に挑戦した話やジョン・フィッチらが1956年のセブリング12時間レースに出場して厳しく辛いレースをした話などはグイグイ引き込まれます。ブリッグス・カニンガム率いるル・マン出場の記録も興味深い。SR-2の話、コルベットSSの話、ミッチェル・スティングレイ・レーサーの話、非運に終ったコルベットGSの苦闘記、70年代に入ってからのグリーンウッドの活躍の話などレーシング・コルベットの主要な歴史が一冊の本にまとまっているところにこの本の意義があると思います。これだけの内容を拾おうと思ったら普通は何冊もコルベット本を読まなければならないでしょう。
 コルベット愛好家ならこの本は持っていて絶対損はいたしません。むしろ全コルベット愛好家必携の書と言えましょう。唯一の難点を挙げるとすればカラーページが表紙だけという点くらいです。興味を覚えた方はどうぞ原書をamazon.comなどでお求めになって是非続きをお読みください。
 ここのところ続いていたホットロッド系の話に関連した部分という事で今回は本書からボンネビルのコルベットの部分を訳してみました。


●The Boys of Bonneville

ジャック・ラフキン(Jack Lufkin)はボンネビルでもっとも尊敬されている人物のひとりである。ボンネビル最速の男ではなかったかも知れないが、彼は気さくな男であると同時に最も経験豊かで最も激烈な競争相手の一人でもあった。ユタ州のウェンドーバーはずれの荒涼の地、ボンネビル・ソルト・フラット(Bonneville Salt Flats)において彼は最速のコルベットの何台かをドライブしてこれに栄誉をもたらした。

↑これがラフキンの時速213マイル(約341km/h)を叩き出した62年式C1。「X号」と呼んでいたらしい(ボディ横にも『X』と描いてある)。何か間抜けな名前の様な気もするが、当時はちょうどアメリカ空軍の超音速ジェット実験機「X-15」がバンバン速度記録を塗り替えていた頃で、ラフキンは大真面目でこれにあやかったものと思われる。写真は本書より拝借。撮影は1968年頃。
↑Ak Millerとはアク・ミラーと読むのかエイク・ミラーと読むのか判らないが、元々の名はアクトン・メーラー(Akton Moller/Mollerの"o"はウムラウト付き)と言って1920年・デンマークの生まれ。1920年代の初頭に家族の移住に伴ってアメリカのカリフォルニアにやって来てその後、一家は名前をアメリカ風に "Miller" と変えたのだと言う。1935年、15歳の時には既に兄貴のジークフリート(Siegfried/デンマーク生まれという割には皆ドイツ風の名前ですね)たちと一緒にミュロックなどのドライレイクで走っていたと言う根っからのホットロダー。

アク・ミラーは「カリフォルニアのホットロッド乗りのバカ共にもボンネビルを走らせてやって下さい」とソルトレイク・シティの広報部に嘆願運動をしていた頃のSCTA(Southern California Timing Association)のボード・メンバーでアレックス・ジィディアスやウォーリー・パークス、ボブ・ピーターセンらともマブダチだった。上の写真は1949年のもの。

アク・ミラーの面白いところはミュロックやボンネビルをブッ飛ばしていただけでなく、1953年〜1954年のカレラ・パンナメリカーナ(Carrera Panamericana)に出場して好成績を残したり、パイクスピーク・ヒルクライム(Pikes Peak Hill Climb)に1958年以来20年挑戦し続けて8回もクラス優勝するなど非常に守備範囲が広くて優秀なレーサー、チューナー、そしてカービルダーだったという点。

自分で「趣味の店」と呼んでいた彼のチューニング・ショップでは8人が働いていたが、アク・ミラー自身はモータースポーツだけやっていればそれで良くて、別にショップを大きくしたいとか商売をでっかくしたいと思ったりはしなかったそうである。ホットロッドに取憑かれた重病人のひとりと言える。その元で働いていた8人のうちの1人だったラフキンもまた重度のホットロッド病に取り憑かれたというのも「まーあり得る話だわな」と頷ける。
 「オレが記録を樹ち立てたコルベットは62年式だった」とラフキンはエイク・ミラー(アク・ミラー?/Ak Miller)のショップのオフィスで回想する。ラフキンは長い事ミラーのショップで働いていた。二人は何度も一緒にボンネビルに出かけており、フラットヘッド・フォードのロードスターに始まって地上最高速度達成計画用のジェット・エンジン・カーにまで至る広汎な分野において、この二人は数え切れない程のスピード記録を持っていた。

 「こいつが自然吸気のガソリンエンジンで時速200マイル(約320キロ)を達成した史上初の車さ」

とラフキンは自分のコルベットを見せながら微笑む。

 「こいつのおかげでオレは200マイル・クラブ(訳者註:200MPH Club/時速200マイルを達成した人々だけが入会する資格のあるクラブ)に入る事が出来たんだ。エンジンは302キュービック・インチ(4946cc)で、ヒルボーン(Hilborn)のインジェクター、直管マフラー、ヴェルテックス(Vertex)のダイナモがついていた。この車とオレは1963年のホットロッド・マガジンのセンターフォールド(折り込み)ピンナップ写真になった。美しい、魅力的な車だったね。ボディはストックのボディから型をとって軽量ファイバーグラスで作りなおしたものだった。このボディは全部で3台分つくられた。ひとつはデイブ・マクドナルド(Dave MacDonald)がレースに使っていたものだ。彼が最初のボディを持っていてオレが二番目のやつを持っていて他にもう一つあった」

 「オレはストックのままのシャシーから自分のコルベットを造った。そしてその車はボンネビルで最終的には時速213マイル(約340km/h)まで行った。まず、1963年に新記録の時速176マイル(約282km/h)を出した。次に時速193マイル(約309km/h)の記録を樹立した後、オレはボンネビルと並行してドラッグレースも始めた。その後、車はどんどん速くなっていってついに1964年、オレは200マイル・クラブの人間になった。時速204.248マイル(327km/h)、それがオレが200マイル・クラブへの入会を許された時のスピードだった」

 「そんなスピードで走っても車は安定していたよ。シャシーはコルベット用のままだったしデフやらのリアエンド一式もコルベットのままだった。ただしフロントサスは自分で組み立てたトーション・バー方式に変更されていた。オレは生前のフランク ・カーチス(Frank Kurtis)といい付き合いをしていた関係でコルベットにカーチスのサスを使っていたんだな」

 「ドラッグでは400メートルでの到達速度は131マイル(210km/h)まで行った。ドラッグでは二つのアメリカ国内クラス記録を持っていたよ。ついでにこいつはハーフ・マイルドラッグ(800m)、1/4マイルドラッグ(400m)、そしてボンネビルの三つで新記録を達成した。だからオレたちはこの車を『三大脅威のコルベット』(原文 "triple threat Vette")と呼んでいた。カムはイスケンデリアンだったのでエド・イスケンデリアン(Ed Iskenderian)はこの車を宣伝に使ってたな」

 だがラフキンは決してその記録を易々と樹立した訳ではない。ソルトレイクの悪魔たち(原文 "gremlins")がこの年、ラフキンの車に取り憑いていたのである。ラフキンがボンネビルのエリートたちの集まり、200マイルクラブへの入会資格を自ら獲得した日の様子は次のような具合だった。

 「時速200マイルで走る本番を翌朝に控えて、オレたちはコルベットを陸送していた。オレがトラックを運転して長いロープでコルベットを牽引していた。その時、舞い上がった塩砂がコルベットのハンドルを握っていた男の目に入った。その時ちょうどオレは車を止めたんだが、塩砂で前が見えて無かったヤツはコルベットを止めなかった。で、ヤツはトラックの後ろに真直ぐドカンと突っ込んでオレのコルベットのフロントはグチャグチャになっちまった」

 「車はもうボロボロさ。フロント全部がイッちまって、オレは『もう明日までに直す見込みはないな』って思った。するとオレが宿泊していたステートライン・ホテルのオーナーのスミス夫人がこの事を聞いて『ジャック、何だったらホテルの中に車を運び込んでそこで修理してもいいのよ』と言ってくれた」

 「で、オレはその言葉に甘えてホテルの中で作業することにした。あちこちにプレートを当ててドリルで穴を開けて片っぱしから何でもかんでもボルトで締め上げた。夜通し修理して、修理したところ全部にマスキング・テープを貼ってハイスピードで走っても安全なようにした。翌朝、何とか首尾よく修理は完了して、オレはホテルの部屋に走って行ってシャワーを浴びた」

 「そしてその日、オレは200マイル・クラブに仲間入りしたのさ。言うまでもないことだがとてもハッピーだったよ。その時点ではオレの車がガソリンで時速200マイルを達成した最初の車だった(訳者註:アルコールやニトロじゃないという意味でしょう)。オレの乗ってた車にはビル・スケース(Bill Scace)のホイールとタイヤがついていた。彼のギアレシオは正しかったね」



●ソルトレイクを震撼させたスケース

 ビル・スケース氏(Mr Bill Scace)は1960年代のボンネビル・ソルト・フラットでは良く知られた人物だった。シカゴからやって来た実業家のスケースは超速いコルベットをつくるというアイデアに取り憑かれていた。

 スケースは1955年にソルト・フラットにメルセデスベンツの300SLを持ち込んだ。当時のソルト・フラットにはスポーツカーのクラス分けは「1500cc以下」と「1500cc以上」という2つしか無かった。スケースはその大柄なシルバーアロー(訳者註:ベンツの事)を走らせるのを大いに楽しんだのだが思った程の結果は残せなかった。次にスケースはSLロードスターを走らせた。だが「ラフキンの野郎がコルベットでいつもオレを負かした。ヤツのコルベットは57年式でオレと同じクラスだった」のだという。

↑左のジイさんがビル・スケース、右のオッサンがジャック・ラフキン。写真は本書より拝借。1968年のショットだという。これはビル・スケースがラフキンのストリームライナーを運転して見事200マイルクラブ入りした時の記念写真らしい。達成速度の平均時速221マイル(約354km/h)も凄いが、この時ビル・スケースじいさんが68歳!だったというのがもっと凄い。並のじいさんなら心臓マヒで死んでしまうのでは無いか。だがアメリカにはこうした「ボンネビルおやじ」や「ボンネビルじいさん」は少なくない。アク・ミラーも70歳でまだボンネビルを走っていたそうである。全く敬服せざるを得ない。私はここ日本で「ボンネビルじいさん」になるのは無理にしても、日本初?の「コルベットじいさん」にはなれるのではないかと思い、今から鋭意努力中です。
 「オレのチームはいくつかのクラスで記録を作った。オレたちは59年式と60年式のコルベットを持っていた。それから1962年には315キュービックインチ(約5160cc)の62年式を手に入れた。こいつは164.69マイル(約264km/h)で走った。ジャガーのXKEコンバーチブルは147.966マイル(約237km/h)だった。そして1963年には我々はコルベットにスーパーチャージャーを装着した。この車の最初の記録は169マイル(271km/h)だったが記録挑戦に関しては結局雨で中止となってしまった。」

 「1964年式コルベットは出来が悪かったな。一生懸命やったんだが155.52マイル(約249km/h)しか出なかった。その後1966年にはエンジンを427(約6990cc)にして予選に臨んだんだが新記録を作る事は出来なかったよ。だが1967年には192.879マイル(約309km/h)の新記録をたたき出し、次にその車にジャック・ラフキンが乗り込んで196.39マイル(315km/h)を出した。そんな過程を経てやがてオレも200マイルクラブに入る事が出来たんだが、目標を達成してしまったせいか、何だか情熱を失ってしまったのさ」

 「その頃知り合ったボブ・ヒルシュ(Bob Hirsch)は町のガソリンスタンドで働く坊やだった。やつは本物のメカニックでオレはまあ金を持っていた。だからヤツが頭脳担当、オレが資金担当だったという訳だね」

 ヒルシュは義理の兄と共にスケースのボンネビル・コルベットの殆どのメカ作業を行った。それからはボンネビル・ソルトフラットに行った時は主としてヒルシュがステアリングを握ることになり、スケースはチームの一員である証としてたまにステアリングを握る、という具合だった。面白い事にスケースが200マイルクラブに入会した時、彼は実はラフキンのストリームライナーでその記録を達成したのである。そしてラフキンのコルベットがオーバー200マイルを達成した時、ラフキンはスケース所有のデフギアとタイヤを使っていた。ボンネビル・レーサーたちの狭い世界の中ではモノはあちこちに行き来するのが当たり前だったのだ。




●ハリー・キッセルのコルベット

 アラン・“バッキー”・ゴダード(Alan "Bucky" Goddard)はハリー・キッセル(Harry Kissel)の所有でハリー自身のレースに使用していた2台のボンネビル・コルベットのチーフ・メカニックだった。人生を通じて車キチガイだったと自任する男、バッキーは自分は12歳にになるかならぬかの頃すでに後の大統領ロナルド・レーガンのジープをリビルドしたのだと言う。

 SCTA (Southern California Timing Association) とパラダイス・コーブ(Paradise Cove)コルベットクラブのミーティングにおいて、何台かのボンネビルカーに混じってキッセルは自分の2台のボンネビル・コルベットを展示した。そこから何フィートも離れていないバーベキュースタンドでホットドッグを作りながらバッキー・ゴダートはキッセルのボンネビル・コルベットの技術的側面について語った。

 「過去にコルベットを走らせたヤツらは何人かいたが、現時点で走らせているのは我々とストックベースの78年式のメル・ボルソン(Mel Bolson)だけだね。それからボンネビルではここに置いてあるのと似たような67年式のホイール・センター・コルベットがあるな。あれはビッグブロックだが。1990年時点で走っているコルベットはこれくらいだね」

 バッキーはエンジン、ボディ、シャシーに様々なモディファイをほどこしたマルーンの67年式ロードスターの横に立っていた。彼は車の方に向き直って、それを眺めながら言う。

 「我々はこいつを3年前に買った。この手のレースが我々にとって面白いものかどうか見てみようという訳だ。1年目はセッティングに精を出してタイヤをチェンジしたくらいだったがこの車の前オーナーよりも速く走る事が出来た。その後は毎年ハシゴを一段ずつ登るようにして少しずつ進歩して来た訳さ。今じゃ前オーナーがビッグブロックで出していたスピードより速いスピードをスモールブロックで出してる。前オーナーはビッグブロックで時速190マイル(約304km/h)だったが我々はスモールブロックで時速192マイル(約308km/h)さ。自然吸気の355キュービックインチ(約5814cc)のスモールブロックだよ」

 「今はもうかなりの部品類が交換されているし、色も塗り替えた。エンジンフードにエアスクープを作ったり、ポンティアック・ファイアーバードのフロントエンドを継ぎ足したりした。というのもオリジナルのコルベットのフロントエンドはとてもリフトが強かったからね。今もまだ色々と手を加えている最中さ」

 「エンジンにはストックより強力なキャリロ(Carillo)のコンロッドが組み込んである。ピストンはコンプレッション・ハイトの高いTRWの12.5 : 1のやつ、そしてサンディエゴ(San Diego)のスナイダー(Snyder)のローラーカムをブチ込んである。そしてミッションはダグ・ナッシュ(Doug Nash)の5速、クラッチはティルトン(Tilton)のウルトラライトクラッチ、クランクとオイルパンはシボレーのストックのものを使用、といったところだね。ヒルボーン(Hilborn)のフューエル・インジェクションもついてる。このエンジンでのマキシマム・スピードはボンネビルで192マイル(約308km/h)、エル・ミラージュで180マイル(約288km/h)だね。我々はこのエンジンを一度もダイノテスト(ベンチテスト)した事がないので一体どれくらいの馬力が出ているのかは判らないな。エンジンのセッティングは全て音を聞いて決めた」

 「リアサスペンションはスピードウェイ(Speedway)のクイックチェンジさ(訳者註:このブランドは知りません)。オレはこれをコルベットに取り付けるのに必要なブラケットや部品を全て作った。フロントサスは原則としてストックのままだね。空気力学上もっと車高を低くしたかったのでちょっと短いスプリングにしてはあるが。へダースはフッカー(Hooker)のサイドパイプ。イグニッション系にはMSDを使用。ブレーキはリアだけ。パラシュートもついてる。リアエンドのギアレシオはコースごとに変えてる。だがどこであれ上限は2.70、下限で3.75だね」

 「我々はC-モディファイド・スポーツ・クラスにおいてこの車でやがては記録を出したいと思っている。このクラスのレコードは199マイルだ。我々が記録を出すには200マイルは出さないといけない。という事はあと20マイル余分に出すつもりでないといけない。来年搭載する予定のエンジンはアルミヘッドになるはずだ。出力はダイノ上で625馬力ほどになるだろう。今ここにあるエンジンは大体500馬力くらいだと思うよ」

(中略)

 「賞金がある訳じゃない。もし新記録を出したらその年度の終わりにトロフィーを貰って自分の名前が本に載る。それだけの事だ。だからといって、そのクラスの最高記録に必ず挑まなければならないという訳じゃない。自分自身のベストタイムに挑む為に走ったっていいんだ。そうしなければならないとも言える。なぜなら最高速度記録のいくつかはしばしば全然手の届かないものである場合があるからね」

↑これが本書に載っていた平均時速239マイル(383km/h)で走るキッセルの80年式コルベットだ!
こういう一応普通の自動車みたいな格好をしている車としては明らかに速い部類に入る。
うおーっ、スゲー!と驚いていてはいけない。ボンネビルでは既に1930年代のアブ・ジェンキンスの時代から平均時速300マイル(480km/h)で走る車がいた(サー・マルコム・キャンベル)のだからその60年後にコルベットがたかだか平均時速239マイルくらいで走ったと言って騒いでいたんでは御先祖様に申し訳ないのです。ちなみにジェットカーなんかだと平均時速600マイル(962km/h)だとか出していて「それじゃあボンヤリしてたら音速じゃねーか!」と驚かざるを得ない。私は素直に「アメリカ人、気い狂ってるぜー!」と感じ入ったのだった。でもそういう車はたいてい翼を作り忘れた飛行機がいつまでも地上を滑走しているといった風情であんまり自動車っぽくない。
ちなみにこのコルベットのリア・アクスルはリジッドに変更されている。最高速度を狙う場合、IRS(リア独立懸架サス)は直進性の妨げとなるだけでなく、時には危険ですらあったらしい。
この直進安定性はリジッドの方がいい、という話は私は素直に納得いたします。というのも私は以前、知人の59年式C1を運転させてもらった時に自分の81年式C3よりC1の方が直進性がいい事に深刻なショックを受けた事があるからである。私のC3の直進性能が劣悪なのは決して私のC3のフレームが曲がっているからではなく、リジッド車相手では最初から分が悪いだけの話だったのだ。
 キッセルのもう一台のコルベットは猛々しい外観を持った白色の1980年式スティングレイ(訳者註:1980年式ですが原文にはっきりと "Sting Ray" と書いてあります)で、これは前オーナーのジュリス・ミンデンバーグ(Juris Mindenburg)のドライブによって最高速度記録を出した車である。この白いコルベットはストックに近いものがあるが、そのアプローチはこの種のレースカーとしての目的にかなったものである。フル・ロールケージとパラシュートの存在がこの車が最高速度を最優先事項にしているという事を教えてくれる。

 「この白い車はそれ自身が実にチャレンジングなものだった。オレは木曜日の朝に作業をスタートした。その時点でこの車にはミッションも無かった。デフも無い。イグニッションシステムも無い。エンジンもブレーキも無かった。オレは木曜日、金曜日、土曜日とぶっ通しで作業した。そして日曜日の朝7時にはそいつを走らせるためにドライ・レイクにいたよ。木曜日に作業を始めた時点ではエンジンは何とショートブロックのままだったんだよ!(訳者註:ショートブロックとはピストン、クランクなどは組み込んであるものの、シリンダーヘッドから上がついてない状態のエンジンの事です)」

 「我々がこの白い車を買った時点では、この車はA-GTクラスにおいて時速239マイル(約383km/h)というボンネビル記録を保持していた。自然吸気のビッグブロックだった。排気量がいくつだったかは知らない。この白い車は1980年式でフロントについては基本的にストックのままだった。まずこいつはGTクラスの車だった。それはつまり2シーターであること、市販のスポーツカーであること、そして内装を外したりしてはいけないということを意味している。だからインテリアは全くの手付かずだった。AM/FMラジオもついたままで、なおかつラジオとしてきちんと機能していた。ロールケージはつけてもいいし、スペースを稼ぐ為に小さなバケットシートにすることも許されていた。他には外装のメッキトリム(飾り)を取り払ってもいいという事になっていたが残念ながらこの年式のコルベットにはもともとメッキトリムは無かったんだな」

 「それからリアの独立懸架サスペンションを含めた駆動系は変更しても良い事になっていた。なぜなら高速度域ではリアの独立懸架はまるで不安定だったからだ。この車のリアエンドは1966年式ポンティアックのものに変更されていた。スペアタイヤキャリアーのところにはバラストを積んだ。我々はストックの燃料タンクを冷却用に使った。我々は22ガロン(83リットル)の水を燃料タンクに入れておいた。それとは別に車のフロント側に小さめのガソリンタンクをしつらえてそこからエンジンにガソリンを供給した。もし何かまずい事が起きた時、ガソリンがたっぷりのっかっているってのは余り得策じゃないからね」

 「エンジンは357ci(約5848cc)のスモールブロックだ。高ニッケル含有のボウタイ・ブロックで13:1のJ&Eピストン、クローワーのコンロッド、クローワーのロッカーアーム、クローワーのスタッド・ガードル(訳者註:ロッカースタッド上部を連結して強度を増すパーツ)、シボレーのボウタイインテーク、ホーリーの850cfmキャブ、アルターダイン(Alterdyne)のカム、といった仕様になっている。このエンジンはその最大のポテンシャルを発揮しているとはまだ言えない。なぜなら我々はシリンダーヘッドのまん中の二つのエキゾーストポートの間が溶融するというトラブルを抱えていたからだ。今年はそのトラブルが3回か4回起きて、そのうち2回はヘッドが溶けてダメになってしまった」

 「ガソリンはストレートのレースガスを使ってる。アルコールやら何やらは使ってない。レースガスだけだ。この車の馬力はボンヤリとしてて与えられたものじゃない。我々が達成したスピードは全て我々の努力の賜物なんだ。我々はスモールブロックで時速230マイル(369km/h)を狙っている。もしそれが達成出来なかったとしてもそれは問題じゃない。それなら我々はまた来年やってきてさらに激しくトライするだけの事だからね」



29 June 2001