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"50 Years of HOT ROD" |
| From the Editors of HOT ROD MAGAZINE published by MBI Publishing Company | |
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この本は雑誌「ホットロッド」マガジンの創刊50周年を記念して1998年に刊行された本でその構成は、大きく50年代、60年代、70年代、80年代、90年代と五つの章に分かれています。但しどの章も主体はあくまで美しい写真たちで文章も多くなく、写真を眺めて説明書きを読んでいるだけで充分楽しめます。ホットロッドの歴史書というよりは「ホットロッド」マガジンを過去に彩った車達の写真集といった方が正しいです。その点、Dean Batchelor著"American Hot Rod"などとは対照的と言えます。 この訳文は期せずして当HPの17)ダントフ・メモを読むの文章内容の逆証明となっており、両者を併せて読んでいただくとコルベット登場前の当時のアメリカの時代風景を考えるヒントとして興味深いものと思います。 尚、この文章そのものを書いたのはトニー・サッカー(Tony Thacker)という人で、多分98年当時の「ホットロッド」マガジンの編集長ではないかと思います。 この本は写真集としても手元に置いておく価値は充分にありますので興味を覚えた方はどうぞ原書をamazon.comなどでお求めになって是非続きをお読みください。 |
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| 初期のオーバルトラックは上の写真の様に木骨を組んで、その上に板材を組んでコースとしていたそうです。嘘みたいな本当の話。下の写真はそのボード・トラックでのレース風景。いずれも1920年代。現代のNASCARもびっくりの雲霞の如き観客の多さとその熱狂ぶりが印象的です。1930年代あたりまでのアメリカの車関係の本の写真を眺めているとダートや泥沼状など路面状況が劣悪の写真がとても多く、どうもアスファルトの鋪装というのが一般的になったのは我々が思っているより少し後の話の様です。だから当時のスピードを出したくて仕方のない大馬鹿野郎な人々はドライ・レイクやデイトナ・ビーチを目指したのでしょう(デイトナ・ビーチでは1903年には既にレースが行われていたそうです)。現在から見るとこのボード・トラックは随分奇妙なものに思えますが当時としては大真面目な選択だったと思われます。 |
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| 上の写真は若き日のボブ・ピーターセン(Bob Petersen)。下の写真が「ホットロッド」マガジンの記念すべき第一号の表紙。 |
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| 1948年当時の「ホットロッド」マガジンの若さと熱意に溢れる誌面。ここでは1948年のエル・ミラージュにおけるS.C.T.A.主催のレースにおいてヒルボーンという人物がストリームライナークラスにおいて時速150.5マイル(時速約240キロ)を達成した事などがレポートされている。レポーターはウォーリー・パークス。訳文中にも出て来たアレックス・ジーディアス(キシディアス?)の名前なども認められる。 |
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| 1948年当時から「ホットロッド」マガジンにはセクシー・ピンナップのページがちゃんと用意されていた。この写真はそんなピンナップ・ガールズのひとり、ペニーちゃんである。彼女が手にしているのは「フル・レーシング・カム」だそうです。恐らくこの時代ではぎりぎりのセクシーショットではないかと思われます。それにしても創刊早々、読者欄から技術解説記事、ハウツー記事、カーツーン、広告記事などを精力的に集めた上にセクシーピンナップのページまで用意したピーターセン氏とその仲間の諸氏の熱意には素直に尊敬の念を抱くより他はありません。ただ惜しむらくはピンナップ・ガールズに関して言えば総じてブスでスタイルの良くないのが多い。予算の都合か。 |
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