14) シボレーがもっとも終焉に近づいた日


 今日の時点からは想像も出来ない事ですがシボレーは創立後しばらくの間は何度か存亡の危機に立たされた事があった様です。これはシボレーの創立者、ビリー・デュランがシボレーを放逐された直後、すんでのところでシボレーがこの世から消滅するところだったという興味深いお話。出典は、

"Standard Catalog of Chevrolet"
Edited by Ron Kowalke
Krause Publications

です。
興味を覚えた方はどうぞ原書をamazon.comなどでお求めになって是非続きをお読みください。

シボレーがもっとも終焉に近づいた日

"The Day Chevy Nearly Sank"
by A. Stanley Kramer


 その緊張の瞬間、堂々たる売り上げを誇っているにもかかわらずシボレーという会社はすんでのところで消滅するところだった。それは1920年の事である。
 ジェネラルモータースの社長としてW.C.デュランは1915年以来その事業を途方もない勢いで拡大しつつあった。1915年にはデュランはシボレーの本社をミシガンのフリントからニューヨーク・シティに移転させた。続く2〜3年の間にデュランはニューヨークはテリータウンのマクスウェルの組立工場を買い取り、またカナダとセントルイスの事業家たちと共同で投資をした。これによって売れ筋の490シボレーをフリント、セントルイス、タリータウン、オシャワ(カナダ)、オークランド、そしてテキサスのフォートワースで組み立てることが可能となったのである。(490シボレーの名はフォードがそのモデルT型につけた値段の490ドルをターゲットとして競争したことに由来している。もっともこのシボレー490の発表後わずか6週間でフォードは値段を440ドルに下げてきたのだが)。

 1916年、GMのセールスは70,701台に急増した。そして1917年には125,882台。1918年と1919年にはほんの少し減少したが1920年には再び150,226台に跳ね上がった。北米におけるGMのシェアは393,075台を数えた。
 しかしシボレーの未来はこれらの数字が示すものとはかけ離れたところにあったのである。GMの社長としてデュランはGMの事業を目もくらむほど拡大してきた。だが彼個人の全ての資産はウォールストリートでのGMの株式の維持運用のために使われていたため1920年9月に株価が急激に下落したとき、デュランと彼の帝国は深刻なトラブルに見舞われることとなった。結局デュポン(duPont)ファミリーの莫大な資産の介入を通してしかGMを破滅から救う方法は無かった。デュポンの迅速な調停のみがGMを生きながらえさせることが出来たのである。だがそれに伴う代償もあった。1920年の11月30日、デュランはその職をピエール・デュポン(Pierre S. duPont)に委ねて自身は辞職せざるを得なかった。デュポンはこのとき同時にシボレーのジェネラルマネージャーとなった。

 アルフレッド・スローン(Alfred P. Sloan Jr.)はこのとき彼の著書「我がGM での日々」で後に書いた様に「全ての事業の責任を負う上級副社長の様なものになっ てデュポン氏に報告をする」役目となった。
 スローンは当時の事業の瓦解について次のように活写している。

「誰かが再建計画をたてるにあたってまずはGMの資産の調査書を作成して、どこから手を付けるかについての見解を明らかにすべきであるというアイデアを出してきた。そして、その仕事はある高名なコンサルティング会社の手に委ねられた。その結果出てきたレポートで最も明解に指摘された勧告はシボレーの事業全体を整理・廃止するというものだった。コンサルティング会社によれば、シボレーを収益を生む事業にするチャンスはもう皆無だという話だった。我々はこの見解に対抗できない感じだった。私は非常に焦燥感を覚えた。何故ならそのレポートを書いたのは権威ある人々だったから、いくら我々がシボレーはまだやれると思っていても我々の意見は反対方向に押しやられてしまうかも知れないと恐れたからだ」

 ピエール・デュポンはスローンのシボレーの事業は継続すべきだという嘆願をじっと忍耐強く聞いた。スローンは次のように回想する。

「私はデュポン氏のところに行って、良い製品を作ってそれを一生懸命売りさえすれ ばシボレーの事業は立派に成し遂げることが出来るはずだと話したんだ」

 それは緊張の一瞬だった。何百万ドルもの金と何千人もの工場労働者の人生があやういバランスの上にあった。GMの総帥、ピエール・デュポンは長時間、沈思黙考した。やがて彼はにっこりと笑って(ちなみにデュポンは滅多に笑わないことで有名だった)言った。

 「そのレポートの事は忘れたまえ。シボレーは続けよう。我々に何が出来るか見てみようじゃないか」

 この後のシボレーはご存知の通り、アメリカの重要なヒストリーとなった。航空工学の技術者がいくらバンブル蜂(和名:マルハナバチ)は羽根が小さすぎて胴体も太すぎるので飛行には適していないと証明しても実際のバンブル蜂はブンブン飛び回るように、シボレーもまた飛んだ。そして今もなお高く飛び続けているのである。